1880明治時代

明治、
その始まり。
THE BEGINNING — MEIJI ERA
明治時代、地域には地車(だんじり)があり、そこに太鼓が据えられていた。当時担がれていたその太鼓は、今も大切に保存されている。町水走の祭礼の歴史はこの時代に端を発する。
「鳴らす者がいて、聞く者がいる。それで町は町になる。」
担ぎ手も町内の男衆が中心。夜通しの巡行が当時から行われていたという伝承が残る。

町水走のふとん太鼓は、
明治時代の創始から現代まで、
形を変えながら続いてきた。
記録に残る最初のひと太鼓から、
今夜の太鼓まで。
「祭りとは、過去からの預かりものを、そのままの熱量で未来に渡す約束である。」

明治時代、地域には地車(だんじり)があり、そこに太鼓が据えられていた。当時担がれていたその太鼓は、今も大切に保存されている。町水走の祭礼の歴史はこの時代に端を発する。
担ぎ手も町内の男衆が中心。夜通しの巡行が当時から行われていたという伝承が残る。

大正時代、町水走は初代ふとん太鼓台を購入。以来、地域の秋祭りの象徴として代々受け継がれてきた。
近隣町と合同で行う「合わせ」の文化が成熟し、提灯の意匠や金糸の刺繍がこの時期に大きく発展した。
町水走の特徴である朱の濃さも、この時代に確立されたとされる。

昭和39年(1964年)頃、旧街道の交差点で、隣町・松原の地車と町水走のふとん太鼓が出会ったことを伝える写真が残されている。
当時の様子は『東大阪市の昭和』にも記録されており、隣接する町同士が祭りの時期に道を共にしていたことがうかがえる。
平成17年(2005年)3月、初代太鼓台の昇魂式を厳かに執り行い、同年9月、2代目として全面新調。制作は淡路の梶内だんじりが担った。
彫刻は黒田一門・松田正幸、松田正彦、萬屋知里による親子3代の合作。3代の彫りが1台に揃うふとん太鼓は、極めて珍しい存在である。

令和7年(2025年)、
現在の太鼓台が新調20周年を迎えた。
ウェブサイト・SNSを通じて
水走の秋を地域内外に届け続けている。
担ぎ手を幅広く募集している。
SNS、映像配信など、
現代の手段を使って祭りを記録・発信する。
140年前の人たちが新しいことをした記録が、今の祭りだ。
だから、今の私たちも新しいことをする。